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龍宮へ Guides to The Dragon Shrine

文/高木一行

 

 ここまで至れば、もはやあれこれ言葉で説明する必要はなかろう。

 ウミガメたちに導かれ、あなたもいざ、<龍宮>へ。

 龍宮という言葉は中国起源かと思いきや、龍宮について中国人に尋ねても皆きょとんとした顔をするそうだ。

 韓国には「龍宮寺」という寺院があるが、日本のような龍宮の概念は一般的にないらしい。

 

 帰神スライドショーとクロスオーバーした帰神ミュージックは、高木美佳作『龍宮』。2001年リリースの美佳のファーストアルバム『メドゥーサ』に、『竜宮』として収められたもの。

 帰神スライドショー 撮影:高木一行&美佳

 帰神ミュージック 『龍宮』 作曲・編曲・演奏・ヴォイス 高木美佳

 

 →帰神スライドショー&帰神ミュージックのご観照方法

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 人間が二酸化炭素を始めとする温室効果ガスをせっせと大量生産しまくってきたにも関わらず、地球の気温は科学者らが予想したほど上昇しておらず、「何だ、あれこれ騒がれたけど大丈夫じゃないか」と一安心しかかったのもほんのつかの間、二酸化炭素も温度上昇も大半は海が吸収して何とか地球全体のバランスを保とうとしていたことが最近になってわかってきて、実は海にこそ重大な変化が起こりつつある事実に、少数の人々がようやく気づき始めたところだ。

 メキシコ湾沖などいくつかの海域では、海水に酸素がまったく含まれず生き物たちが生存(存在)できない不気味な「死の海」が広範囲に渡って出現し、現在その領域がどんどん拡大しつつある。

 改めて言うまでもないと思うが、自国の海とかどこかよその国の海などというものは「ない」。日本海とか大西洋などと人間が勝手に名づけたすべての海は、全部一つながりの「一つの海」なのだ。

 

 すでに始まっている海水全体の温度上昇が1〜2℃にまで達した時には、人類にとって壊滅的な大変化が地球規模で起こっているだろうと言われている。

 沿岸部に集中している人類の都市は、その多くが海中に没し、北極の氷は夏の間完全に姿を消して北極航路が新たに開通するかもしれない。むろん、北極圏で暮らすシロクマやホッキョクギツネなどの陸棲哺乳類は死に絶える。

 このたびの慶良間巡礼中、現在EU諸国へどっと押し寄せつつある膨大な難民たちに関するテレビニュースをしばしば目にした。私たちは普段、地上波のテレビ番組を一切見ないし、新聞も雑誌も読まない。

 地理学者、環境考古学者の安田喜憲[よしのり]教授らの研究により、民族大移動や大規模な紛争など過去に起こった人類史上の様々な出来事が、気候の変動と密接な関わりを持っていたことがすでに明らかとなっている。

 このたびの難民問題も一種の民族大移動にほかならず、その原因となっている政乱や弾圧、暴力ですら、実は地球規模の気候変動の影響によるものではないかと私は感じている・・・・というよりは、海そのものから「そうだ」と(芸術的直感を通じ)「教え」られた。

 

 だからどうだとか、こうだとか、やれ環境を守れとか、ああせよこうせよ、などと、我々は口うるさく言わない。そんなことを言っても無駄だから。

 そうではなくて、「幸い、奇跡のように美しい海が、奇跡的にも私たちの日本という国にまだ残されていて、しかも一般人がとても踏み込めぬような辺鄙[へんぴ]な秘境なんかじゃまったくなく、誰でも簡単に訪れることができるアクセスの利便も非常によいところなのですから、気楽な気分で是非、慶良間の海を実際に体験されてみてはいかがですか?」と皆さんをお誘いしている・・・だけだ。

 耳を傾けようが無視・黙殺されようが、すべて皆さんのご自由であり、と同時に、皆さんはその自らの判断と決断と行動に対し、自ら責任を負わねばならないことをも銘記する必要がある。

 

 奇跡のように残っている、と私が述べたのは決して誇大な表現ではない。

 聴くところによれば、かつて慶良間の海と同様、否、それを遥かに上回る壮大壮麗な大珊瑚礁が、沖縄本島の周りをぐるりと取り囲んでいたという。

 それが、1975年に開かれた沖縄海洋博覧会を境として、ほとんど一瞬のうちに全滅に近い状態に陥ってしまった。

 沖縄全土で「土地改良」と称して一斉に行なわれ始めた土木工事により、赤土が大量に海へ流れ込み、それが珊瑚の上に堆積して窒息死させたことが、原因だ。

 そして、まったくもって信じ難いことに、これだけ大規模な破壊と殺戮の後でもなお沖縄各地ではいまだに政府主導による「土地改良」が盛んに行なわれているのだ。

 雨が降った翌日、どこの川でもいいから河口へ行ってみれば、濁った赤茶色の・・・死の水が、本来そこにあるべき自然な海水をまるでレイプするかのように強引に押し拡げ、遥か彼方にまで流れ拡がってゆく様を、目の当たりにすることだろう。

 西表島で、そのような光景を私は繰り返し目撃した。

 

 にも関わらず、沖縄本島のすぐ間近にある慶良間諸島で、活き活きと息づく健全な珊瑚礁がいまだに保全され、おまけにウミガメと一緒に泳ぐことまでできるなんて、確かに奇跡以外の何ものでもないのだとおわかりになるはずだ。

 今回、阿嘉島のビーチを訪れてみて、ゴミがまったくといってよいほど見当たらない無垢なる美しさに感銘を受けたが、宿泊した宿のオーナーに聴いたところでは、海流の関係で台湾や中国、韓国などからの漂流物がまったく流れ着かないビーチがいくつもあるのだそうだ。

 それもまた、<奇跡>のなせるわざではなかろうか?

 なお余談ではあるが、同宿の人たちを静かに観察していて感じたのは、いずれの人々も1泊しただけで慶良間をあわただしく後にするようであり、何ともったいない、と。

 忙しい仕事の合間を縫って終末・・、いや週末だけのタイトなスケジュールで訪れることができるからこそでもあろうが、せっかくの貴重な機会なのだから、是非もう1日でも2日でも滞在を延ばし、もっと徹底して慶良間の海と「触れ合う」ことを強くお勧めしたい。

 1人1人がそのようにすることが、積もり積もって人類全体、否、地球全体の運命にまで強い影響を及ぼすとしたら、「自らの体験を通じて海を知る」ことは、今や人類の(楽しい・神聖なる)義務とすら言えるのではあるまいか?

 

 そのような意図に基づき、私たちはこの『ケラマ・グレイス』のような作品を創って世に問うてきたのであり、「まあ、お好きなように、のんびりやってくださいな」、なんて悠長に構えていられるような状況では、どうやら地球規模でなくなりつつあるらしいので、少々語調を強めに改め始めたという次第。

 呑気に人任せにしてばかりもいられないから、我々が提唱するような独自のシュノーケリング体験が味わえるオリジナル・ツアーのようなものを、現地の宿泊施設やボートツアー会社などとも提携しつつ、企画してみるのも悪くないと思っているところだ。

 辛気臭いお説教の場なんかじゃない、これまで誰もやったことがなかったような独自のアプローチにより、海をもっと徹底して、トータルに、五感すべてを全開にしながら、<楽しむ>ための巡礼ツアー。

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