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裁判所が生んだえん罪事件

 本ページでは、無実にも関わらず裁判所が「有罪」を下したえん罪事件についてご紹介します。

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〇岡山山陽本線痴漢えん罪事件

 2006年11月2日朝の通勤ラッシュ時、JR西日本に勤務していた山本真也さんは通勤のため、山陽本線快速サンライナーに乗車していたが、乗客の女性から「痴漢をされた」と訴えられたため、運転士、車掌とともに鉄道警察隊へ行くことに。その後逮捕され、岡山西警察署へ連行される。逮捕翌日に身柄送検された後、迷惑防止条例違反の罪で起訴される。検察は今回の事件の他に2ヶ月前の9月に発生した別の痴漢事件も山本さんによるものであるとこじつけて起訴した。

 2006年12月岡山地裁で初公判が開かれ、11月と9月の痴漢事件の他に、6月に女子高生が山本さんの痴漢行為を2日連続して目撃をした、という事件が加えられたことが判明した。

 11月の痴漢事件では、被害女性はジーンズの上から自分の陰部を触っている手を直接見た、と証言していたのに対し、弁護団は事件当日の混雑した車内状況の再現実験を行なった。すると乗客同士が密着した状態では、被害女性が自分の陰部を触っている手を直接見ることはできないことがわかり、被害女性の証言と食い違っていることが明らかとなる。

 9月の痴漢事件では、被害女性と山本さんの身長差はおよそ25㎝あり、山本さんが女性の臀部を触るためには膝を大きく曲げるか脚を大きく開くことになり、極めて不自然な姿勢をとらざるを得ないことになる。

 6月の痴漢行為目撃事件では、山本さんの痴漢行為を2日続けて目撃した女子高生の通報を受け、鉄道警察隊の2名の隊員が約4ヶ月に渡り山本さんを尾行し行動確認を行なった。裁判に証拠提出された尾行メモには、山本さんを計36回尾行したことや目撃時間、服装などが箇条書きにされている。ところがメモには不可解な点が多くあり、たとえば山本さんが着たことがない色の服装や所持品などの記載が大量にあり、また車通勤した日や社内行事で別の電車に乗った日も山本さんが快速サンライナーで目撃されていたことになっている。警察が別人の記録を使って事件をでっち上げている可能性が極めて高いと言える。

 岡山西警察署は山本さんの逮捕直後に繊維鑑定などの科学捜査を一切行なわず、自白を迫る取調べしか行なわなかった。鑑定結果は痴漢事件の唯一の客観的な物証になり得るため、岡山西署は山本さんの右手を即座に繊維鑑定すべきであった。被害者証言しかない本事件において山本さんの無実を晴らす重要な証拠となるはずであったものが、警察のずさんな対応によって奪われてしまったともいえるのである。

 2009年5月岡山地裁で「懲役6ヶ月・執行猶予3年」の有罪判決が言い渡される。山本さんは即日控訴し、広島高裁では山本さんの犯行が不可能であることを再現した、検察側不同意のDVDが証拠物として採用され、法廷内で上映された。しかしながら広島高裁で下された判決は「控訴棄却」、そして最高裁へ上告するも棄却され、有罪判決が確定される。現在、再審を準備中。

 参考文献:冤罪ファイルNo.10  参考サイト:日本国民救援会HP

〇袴田事件

 1966年6月30日、静岡県清水市(現在は静岡市清水区)の味噌会社の専務一家4人が殺害、放火された事件。元プロボクサーで、味噌会社「こがね味噌」の従業員だった袴田巌さんが強盗殺人などの疑いで逮捕、起訴され、19日に渡る過酷な取調べの末、朦朧とした状態となり警察の筋書き通りに無理やり自白させられた。

 

 警察は袴田さんにアリバイがなかったこと、事件後左手中指に負傷していたこと(実際には消火活動によって負傷)、そして特に元プロボクサーであったことなどから、袴田さんが犯人だと決めつけた。

 しかし、実は袴田さんには完璧なアリバイがあり、事件当時、袴田さんの同僚が袴田さんのアリバイを供述していたのにも関わらず、検察は袴田さんが犯人であるかのような供述に捏造していたことが2013年11月に発覚している。

 

 袴田さんは裁判で無罪を主張したが、一審の公判中である1967年8月31日(事件から1年2ヶ月経過)、工場内の醸造用味噌タンクから血液が付着した5点の衣類(ズボン、ステテコ、緑色ブリーフ、スポーツシャツ、半袖シャツ)が発見された。「自白」では、犯行時パジャマを着用していたとされ、検察も当初は犯行着衣をパジャマと主張していたが、5点の衣類が犯行着衣であると主張を変更した。

 裁判所は5点の衣類が殺害行為の際の犯行着衣と認定し、それが決定的な証拠であるとして、死刑判決を言い渡した。

 

 しかし、5点の衣類のうちのズボンは、原審から袴田さんには小さ過ぎて履けないことが明らかであり、実際に装着実験もし、写真にも証拠が残されている。袴田さんは無実を晴らすため、このために自らの意志で痩せて現役プロボクサーさながらの体形で装着実験に臨んでいた。

 

 1980年に上告が棄却され死刑が確定。1981年、静岡地裁に再審を申し立てたが1994年に棄却。東京高裁における即時抗告審も2004年に棄却された。弁護団は同年9月に特別抗告を申立てたが2008年に最高裁が棄却。

 

 同年4月、弁護団による第2次再審請求で、静岡地裁は5点の衣類と被害者らの着衣についてDNA鑑定を行い、確定(死刑)判決の根拠とされた5点の衣類が袴田さんのものでないことが明らかとなった。

 また検察側は、ズボンのサイズについて「タグの『B』の文字は84センチの『B4』サイズの意」などと言い張り、確定判決でもその通り認定されていたが、「B」は「色を示す」ものだったことが証拠開示で明らかとなった。

 そして、5点の衣類や重要な証拠が捜査機関によってねつ造された疑いがあり、「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」に該当するとして、静岡地裁は2014年3月27日に再審と、死刑の執行停止・拘置の停止も併せて決定し、袴田さんは48年ぶりに釈放された。

 

 しかし、検察側が即時抗告し、現在も再審が開始されておらず、袴田さんは未だ「確定死刑囚」のままである。東京高裁は、再審開始決定に大きな影響を与えたDNA鑑定について、検察の主張に沿った無意味な検証実験を行うことを決定した。現在、三者協議(弁護団、裁判所、検察による協議)が進められているが、最悪の場合、再審請求が取り消され、死刑囚として再び収監される可能性もある。

〇布川事件
●1967年8月に茨城県利根町布川で発生した強盗殺人事件。被害者は大工仕事をしていた一人暮らしの62歳男性で、金貸しもしていたと噂されていた人物。事件に関与した証拠が得られなかった茨城県警は、ある男性の目撃証言を手がかりに2人の男性(桜井昌司さん、杉山卓男さん)を別件逮捕。警察の留置所での長時間に及ぶ取調べの末、虚偽の自白を引き出し、検察は物証が無いまま起訴した。公判で桜井さんらは自白はでっち上げられたものだ、と無実を主張したが、1970年10月水戸地裁は「自白は具体的で信用できる」として二人に無期懲役を言い渡す。1973年12月に控訴棄却、1978年7月に上告が棄却され、二人の無期懲役が確定した。
 
 1983年弁護側による第一次再審請求は棄却されたが、2001年第二次再審請求を申立て、2005年水戸地裁が再審開始を決定。これに対し、検察側は東京高裁に即時抗告、最高裁に特別抗告するも棄却され、2009年再審開始が確定。2010年より6度の公判を重ね、2011年5月、桜井さんと杉山さんに強盗殺人罪について無罪の判決が言い渡される。

●この事件において二人の有罪に結びつく物的証拠は無く、検察側によって捏造された二人の自白証拠と、ある男性の目撃証言があるのみである。
 
 二人の自白は変遷を重ね矛盾も多く、嘘の自白の典型であった。自白では、二人は素手で室内を物色したということであったが、現場検証で採取された40個以上の指紋の中に、二人の指紋と一致するものは一つも無かった。裁判官はこの重大な事実に向き合って検証することなく「・・・そのことだけで直ちに被告人らの犯行を否定するわけにはいかない」と控訴審判決を下してしまっている。後に弁護団は犯行現場と同じような部屋を作り、指紋の専門家の立会いの下、桜井さんと杉山さんに素手で物色行動をさせる再現実験を行った。その結果は「必ずどこかに二人の指紋が残る」というものであった。
 
 また警察が指紋すら捏造しようとしていた事実として2009年12月の朝日新聞に興味深い記事が掲載された。

 《・・・「この二人の指紋と合わせてくれないか」。当時茨城県警の鑑識課で指紋の採取や照合作業を担当していた元課員の一人は、捜査を指揮する捜査一課から受けた連絡を今でも覚えている。「『調べてくれ』と言われることはあったが、『合わせてくれないか』と言われたのは、後にも先にもなかった」・・・》

●再審請求の過程で弁護側が行った証拠開示請求によって、検察により隠蔽された100点以上の証拠類が提出された。

「死体検案書」
 
 事件発生後、死体を検案した医師による死体検案書の死因の欄には、医師の手書きで「絞殺(推定)」と記されていた。「絞殺」とはひもで首を絞めて殺害することである。しかし桜井さんの調書では「両手で上からのどを押さえつけました」となっている。この場合法医学者は「扼殺」(やくさつ)と書く。「絞殺」とは書かない。

「毛髪の鑑定書」

 事件現場から8本の毛髪が採取されたことが現場検証の報告書に記載されていた。ところが裁判では茨城県警が行なった毛髪の鑑定書は一切提出されなかった。弁護側は「検察が毛髪の鑑定書を隠している」という推理のもと、証拠開示請求を行なった。検察は20年以上にわたって隠し続けたが、2003年ついに毛髪の鑑定書を提出した。鑑定結果は8本の毛髪のうち、3本は被害者のものと認められ、または類似していたが、5本は被害者、桜井さん、杉山さんのいずれの毛髪とも類似していない、つまり二人の毛髪と一致する髪の毛は一本もなかったのである。

「近所の女性の目撃証言」

 事件当日、被害者の家の前を通った女性の供述調書は40年以上にわたって検察により隠され続けてきた。弁護側の請求により開示された女性の供述調書の中で「玄関脇に立っていた男は身長五尺四、五寸(165cm前後)だった」と女性は供述しており、「玄関脇には杉山が立っていた」という、ある男性の目撃証言とは食い違うこととなる。なぜなら杉山さんの身長は180cmを超えた大男だからである。

●えん罪被害を受けた桜井さんは、警察と検察の責任追及のため、2011年11月、国や茨城県警を相手に国家賠償請求訴訟を提起、現在東京地裁で審理中。

〇東住吉えん罪事件 

 1995年7月、大阪市東住吉区の青木惠子さん宅で火災が発生し、入浴中だった小学生の長女が死亡。火元は風呂場に隣接する車庫で、火災原因不明のまま、大阪府警は保険金目当ての放火殺人事件として青木さんと内縁の夫、朴さんを逮捕し、大阪地検が起訴。公判開始以来二人は一貫して無罪を主張。有力な物証はなかったが、警察の強圧的な取り調べにより引き出された朴さんの自白が重視され、一審大阪地裁の判決を、二審、最高裁とも支持し、2006年無期懲役刑が確定。青木さん、朴さんはそれぞれ和歌山、大分刑務所に収監される。

 

 2009年夏、二人は相次いで再審請求の申し立てを行なう。2011年5月、弁護側が朴さんの自白の内容に基づいて火災再現実験を実施。大阪地裁は実施に先立ち、検察側に再現に必要な証拠の開示と立会いを促す。検察側はネガや写真を新たに開示し、再現実験の当日、検察事務官が現場に立ち会った。再現実験の結果は、猛烈な炎の中、ライターで火をつける余地などないこと、相当の火傷を負わずに放火行為を行なうことは不可能であること等が判明し、自白通りに犯行に及ぶことは科学的に不可能であることが証明された。

 

 2012年3月、大阪地裁は再現実験の証拠価値を認め、再審開始を決定した。しかし大阪地検は、再現実験が犯行時の状況を正確に再現していないとして不当にも即時抗告した。その後2013年5月、検察側による再現実験が行なわれたが、弁護側の実験と同様の結果となり、弁護側の主張の正しさを裏付けることとなった。

 

 2015年10月23日、大阪高裁は放火ではなく、車のガソリン漏れによる自然発火の可能性が高まったとして、2012年3月の大阪地裁の再審開始決定を支持し、二人の刑の執行停止を決定。青木さんと朴さんが逮捕から20年ぶりに刑務所から釈放される。

 

 2016年4月28日、朴さんの再審初公判が、5月2日には青木さんの再審初公判が開かれ、両公判ともに検察側は有罪主張を取り下げると表明し、即日結審。ともに8月10日に無罪判決が言い渡される予定。

 

 

〇倉敷民商弾圧事件 

 2013年5月、岡山県倉敷市の民商(民主商工会)事務所に広島国税局収税官吏が大挙して、当時倉敷民商会員だった建設会社社長夫妻の脱税容疑(法人税法違反)と称し捜索・差し押さえを行なったことが事件の発端となる。広島国税局は被疑事実と関係のない倉敷民商の会議議事録や会員の名簿、倉敷民商事務局員の手帳、そして事務所にあった全てのパソコンを押収した。

 

 2014年1月、広島国税局、倉敷警察署、岡山地検は、倉敷民商事務所、事務局長小原さん、事務局員禰屋さん、須増さんの自宅などに対する捜索・差し押さえを行ない、その後小原さん、須増さんを税理士法違反で、禰屋さんを法人税法違反と税理士法違反で逮捕し、起訴した。禰屋さんの容疑は建設会社の経理担当者の指示で、パソコンの会計ソフトの入力作業や振替伝票の作成を行なったことが脱税(法人税法違反)を幇助し、さらに税理士の業務を無資格で行なった(税理士法違反)というもの。

 

 小原さんと須増さんの二人は6ヶ月余に及ぶ勾留の後保釈、2015年4月岡山地裁で懲役10ヶ月(未決勾留100日参入)執行猶予3年の判決を受け、二審の広島高裁も控訴を棄却、現在最高裁へ上告中。

 

 禰屋さんの勾留は逮捕以来1年2ヶ月の長期に及び、現在岡山地裁で審理継続中。

 

 強制捜査のきっかけとなった建設会社の社長夫妻は身柄拘束されず、会社のパソコンも押収されず、パソコン内のデータと印刷物の提出のみであったこと(その後在宅のまま懲役1年6ヶ月執行猶予付きの有罪判決が確定)、民商側の行為が仮に違法であったとしても形式犯に過ぎず、通常は反則金等の行政罰で済むことから、広島国税局や検察の一連の行為が倉敷民商の活動を妨害する目的で行なわれた弾圧であると考えられる。また弁護側は、「禰屋さんが一貫して容疑の否認を貫いたため、裁判所が事実上の制裁を課した人権侵害だ」として抗議をしている。

〇仙台北陵クリニック・筋弛緩剤冤罪事件

 2001年1月6日、准看護師として仙台市の「北陵クリニック」で働いていた守大助さんが点滴に筋弛緩剤(商品名マスキュラックス)を混入したとする殺人未遂容疑で逮捕、起訴され、最終的には1件の殺人・4件の殺人未遂で起訴された事件。不当な強制・誘導で犯行を認める供述を強いられたが、逮捕から3日後に否認に転じ、その後は一貫して無実の主張を貫いている。

 

 検察は守さんが点滴を通して筋弛緩剤を注入したとしているが、弁護側は以下の3点で反論している。

(1)筋弛緩剤は点滴に混入しても効果がない(多くの臨床医の常識)

(2)5人の急変は、筋弛緩剤と症状が異なり、他の原因で明確に説明できる

(3)大阪府警科学捜査研究所による鑑定の信用性には重大な疑いがあり、マスキュラックスの主成分であるベクロニウムは検出されていない

 

 大阪府警科捜研の鑑定結果については、専門家が口を揃えて「有り得ない」と言うほど科学分析の名に値しないものであった。その上、科捜研は提供された血液などの試料を全て使いきり、再鑑定を不可能にしてしまった。国家公安委員会が定めた「犯罪捜査規範」第186条に違反する行為であり、警察による証拠隠滅が疑われる。

 弁護団は、患者の急変には事件性がなく、事件は「まぼろしである」と明言している。

 捜査当局は守さんを逮捕する前に、カルテの精査も、急変患者の主治医に事情聴取さえもせず、守さんが点滴に筋弛緩剤を混入したと勝手に思い込み、最初の逮捕に踏み切ってしまったことが明白となってきている。

 

 2004年3月に一審(仙台地裁)で無期懲役、二審(仙台高裁)では弁護側の鑑定請求等も却下され、2006年3月に控訴棄却。弁護団は即日上告したが、2008年2月に上告棄却となり、無期懲役刑が確定。同年7月、守さんは千葉刑務所に移送され、受刑生活が始まる。その後、2012年2月、仙台地裁に再審請求が申し立てられたが、2014年3月に棄却。現在、仙台高裁で即時抗告審が審理されている。

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 えん罪事件はこのほかにも、無数に存在しています。

 これらはすべて、裁判所による「公平・公正な審理と判決」がなされなかったために起こった悲劇であり、根本原因である裁判所のあり方を放置することは、私たち自身の人権が蔑ろにされているという事実から目を逸らすことにほかなりません。

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